中国の今と、昔の日本 ~ITSでエスコート~
西村直人
さて、昭和30年代~40年代の日本。ここでも今の中国の生き写しのような交通問題が生まれていた。激しい交通渋滞、頻発する交通事故。東京オリンピックに焦点を絞った建設ラッシュによる渋滞も、今の北京とオーバーラップする部分だろう。それでも日本はそうした事態をようやく乗り越え、ITSを駆使する交通の高効率化に向かって舵をとり始めた。
中国政府は、こうした日本の成長をどう見ているのだろうか? 日本の交通研究機関に勤める現地職員(前号参照)によると「技術提携はすでに始まっている」という意外な言葉が飛び出した。交差点での信号メカニズム、合流ポイントにおけるカーブの半径や設計速度など、クルマの流れをいかにスムーズにしていくかという基礎的な事例だけでなく、すでにACC(アダプティブ・クルーズ・コントロール/当ブログ内で検索可)の適応性まで一部の自動車メーカーと検証作業に入っているというのだ。これには正直、驚いた。
交通文化の発展を真面目に考える中国で、07年10月「第14回ITS世界会議北京2007」が開催される。
http://www.its-jp.org/conference/
04年に名古屋で開催された同会議では、産官学の共同事例が数多く発表された。交通事情を研究する大学の研究生に共通して言えたのは、みな眼がイキイキと輝いていたことだ。本気で未来の日本を考え、そして研究に没頭する姿はとても凛々しかった。
さて、北京では一体どんな発表があるのだろうか? 日本のITSが中国の交通事情の未来をエスコートする……。そんなサプライズが起きるのではないかと、一人、期待している。
中国の今と、昔の日本 ~交通事情~
西村直人
広州空港からおよそ3時間。次に降り立ったのは約1150万人の人々が暮らす首都・北京。どこか庶民的なムードが漂う広州から一転、北京市内の中心部は近代的だ。宿泊したホテル周辺には巨大な地下アーケード街があり、欧州ブランドのブティックや高級食材を扱う食品店などが軒を連ねる。歩いている若者の服装を見ていると、ここは渋谷か青山か? と見紛うばかり。
08年開催のオリンピックの経済効果を期待してか、市内各所は高層ビルの建設ラッシュ。それこそ朝から晩までひっきりなしに工事は続き、場合によっては道路を完全封鎖した状態で行われる。結果、当然のごとく渋滞が発生。さらに、そうしたなかでも人やクルマは忙しなく動きまわるから、渋滞はまるで波紋のような広がりをみせる……。
急増するタクシー(空車が目立つ)も、この悪循環に拍車を掛けている。余談だが、タクシーの増加はオリンピック需要を狙ったものだというが、それこそ脱サラしてクルマを購入したドライバーのなかには、車中泊を繰り返しながら売上が右肩上がりになる日を夢見ている人たちが少なくないという。
こうした交通事情について、北京に支局を置く日本の交通研究機関の職員は「増加する交通量にインフラ整備が追いついていない」とコメントする。確かに政府は道路拡張や交差点整備などを積極的に進めているものの、現状の交通量をさばくには焼け石に水。さらに「道路の合流ポイントについて明確な規定がないことも要因」(同職員)だと付け加える。ブレーキを踏む回数が増えれば、それだけクルマの平均速度が下がり円滑な交通が妨げられてしまうからだ。(つづく)
中国の今と、昔の日本 ~バイタク~
西村直人
中国では、バイクのタクシーを「バイタク」と呼ぶらしい。広州空港から郊外へと向かう道すがら、かなりのバイタクとすれ違った。よっぽど繁盛する商売なのかと現地スタッフに聞くと、利用料金は本家のタクシー(クルマ)よりも数倍安いこともあり、利用者は確かに多いという。
しかし、政府はその存在を認めていない。つまり違法行為だ。だからバイタクに同乗中、事故にあっても補償はない。
燃費が良くてクルマに比べて車両価格の安いバイク。移動の手段として注目されるのは当然だ。ただし、その手軽さが先走り、安全装備をないがしろにした。バイクの事故は後を絶たない。ヘルメットを被らないライダー(運転手)を見かけることにも驚いたが、悲しかったのは後ろに座るタンデマー、つまりお客さんがノーヘルであることだ。まるで自転車の後ろに座るが如く、その何倍ものスピードの出るバイクに無防備な姿でまたがっているではないか。
赤ん坊を右腕に抱えバイタクに乗り込む若いお母さんを見たときは、さすがに堪えた。彼女にどんな理由があるのかはわからない。でも、日本以上の経済格差が生まれているとはいえ、バイタクに3人乗りしなければ移動の自由を手にすることができないという事実は、あまりにも衝撃的だった。
100歩譲ってライダーには目をつむる(本当はつむれないが)としても、せめてお客さん用のヘルメットは用意するべきだ。とはいうものの、存在そのものが違法行為であるバイタク。ヘルメット装着義務化の取締りがどれだけの意味を持つのだろうか。こうした事態を背景に、07年1月1日から広州市内の中心部(交通混雑の激しい一部の地域)へのバイクの進入ができなくなった。
日本では道路交通法の第71条の4に自動二輪車のヘルメット装着義務化がうたわれているが、それも昭和30年代ともなれば義務化はおろか、ヘルメットの存在意義は今よりはるかに薄かった。
かくして、歴史は繰り返すのか……。
中国の今と、昔の日本
西村直人
今年の1月末、中国の交通事情を探るべく2泊3日の視察を行いました。生まれて初めての大陸体験。出発前の下調べにも熱が入ります。
最初に降り立ったのは広東省広州。「中国のデトロイト」との異名をとるこの地には、ホンダ、日産、トヨタなど、次々に国産メーカーが合弁会社を設立。もともと電子機器の生産工場が主軸だった広東省は、この20年で自動車生産事業にシフトすることで、経済の活性化を早めているとのこと。
なるほど、空港から市内に向かっていくにしたがって、クルマは増えるし、人の往来も多くなる。活気溢れる街だと感心しきり。
でも、ちょっと冷静になって“交通の流れ”に眼を向けてみると、「これって、昔の日本と似ているかも?」と思う場面に何度か遭遇しました。
まず車線の使い方。1車線の幅は日本より広くて路面状況も聞いていたほど悪くありませんが、2車線ある地域では、なんのためらいもなく3台のクルマが横並びで走っているのです。ただ興味深いことに、互いに隣のクルマのことを意識しているらしく“鼻っ面を入れたほうが勝ち”みたいなギスギスした感はありません。
ウインカーを出さずに車線変更するも、その動きはゆっくり・おおらかで、ほのぼのとした空気すら漂う。人や自転車も、行来きするクルマを縫うように車道を横断しています。
翻って昔の日本。下調べをした昭和30年代の東京都心部。そこでの交通を記録したフィルムによると、なんと今の広州市内と同じような光景が繰り返されています……。クルマの絶対数こそ中国にかないませんが、“混合交通”という意味では非常に近い形態だと感じました。
路面電車とクルマ、それと自転車や歩行者が狭い道路を譲り合いながらシェアする姿。資料によれば、軽微な事故はつきものだったようですが、交通戦争といわれた当時の交通にも見るべきところ、学ぶべきところはたくさんありました。
ただし、広州近郊のバイタク(バイクのタクシー)にはギョッとさせられましたが……。(つづく)
~人間+ロボット=∞~ Vol.01
西村直人
自宅近くの区営スポーツジムに通い始めて半年。歩いて5分の場所にあることもあり、週に2日は汗を流しています。なんでセッセと通っているのか? べつにワタクシ、メタボリックなカラダじゃないんですが、このところ運転中に身体的な疲労を感じることが多いんです。そこで思い出したのが、かつて取材をさせて頂いたプロライダーの岡田忠之選手(鈴鹿8時間耐久レースに数多く出場)のお言葉。
「身体的な疲労は筋力が落ちている証拠。日々のトレーニングが肝心です!」。バイクに限らずクルマの運転も体が資本。そんなわけで今一度、襟を正す意味を含め精進しております……。
さて、肝心のトレーニング。ジムトレーナーによると運転に必要な筋力は多数あるようですが、なかでも重要なのが腹筋(?)。てっきり背筋とばかり思っていましたが、その反対側の筋肉だったんですね。プロドライバーの方々に腰痛持ちが多いのは、この腹筋が弱ってきているからなんだそうです。余談ですが、バイクのライディングを左右するのは内転筋(腿の内側の筋肉)という部分。しっかりバイクを押さえ込むために大切な筋肉なんですね。
ちなみに私のトレーニングメニューは、上半身、とくに腹筋と背筋をバランスよく鍛えるマシンを低負荷で30分。加えて心肺機能を高めるための有酸素運動(自転車マシン)を30分、合計1時間を1セットとして組み立てています。
このところその効果が出始めたのか、長距離の移動がとてもラクになってきました。クルマはどんどん進化していますが、やはりそれを司る人間はいつまでたってもアナログ回線なんだと再認識しました。疲れが溜まれば「認知・判断・動作」が遅れ、結果として安全な運転を妨げられてしまいます。軽自動車にもプリクラッシュセーフティシステムが導入される時代ですが、やはり基本は人間(=ドライバー)であることに変わりはありません。
ただし、前人未踏の高齢化社会に足を踏み入れている人類は、自らの身体的な能力だけで安全を確保することができるのでしょうか? よほど身体的に優れた一部の方々を除けば、加齢による衰えをコントロールするのは至難といえるでしょう。そこで私が提唱したいのが「人間+ロボットの協調運転」です。(つづく)
クルマのなかで“メネフネ”が大活躍!
西村直人
トヨタのWebサイトでおもしろい動画があります。先日のブログで「7つの眼」の話を書きましたが、トヨタの考える“眼”の数は7つどころじゃないようです(笑)。まずは一度ご覧になってください。
http://toyota.jp/information/philosophy/humanity/index.html
ブログでの執筆を開始してから、「ITSってなんですか?」と聞かれることが多くなりました。きっと皆さん、ちょっと難しく考えているんじゃないでしょうか。そんなとき、私はいつもこの動画の話をしてITSのイメージを膨らませてもらいます。私の考えるITSの世界って、まさにこの動画にあるような社会のことなんです。
「最先端技術こそ、人のためにある」
これは、トヨタのある技術者から伺った言葉です。技術とは、速く走るためだけにあるのではなく、スムーズに、そして安全に走るためにも大切です。こうした技術に対する思想は、ITSが目指す交通社会を形作る上で、とても重要な事柄ではないでしょうか。
こんなことを考えてみました。クルマ社会をより良い方向へと導いてくれるのがITSなら、人々の生活をもっと豊かにしてくれるものは何なのか、と。そこでいきついた一つの答えがロボットです。
日本の高齢化社会については先だってのブログでも触れましたが、ロボットのアシストによって、人々の暮らしがもっと快適になるのではないかと真剣に考えています。先進装備を満載したクルマを使いこなすことができる人間は、きっとロボットとも友好的な関係が築けるのではないか‥‥‥。ちょっとオーバーに聞こえるかもしれませんが、これがロボットに対する私の持論です。
ところで、ご存知の方も多いと思いますがタイトルにある“メネフネ”とは、ハワイにその昔住んでいたといわれる妖精のことです。人々が眠りについた真夜中に、せっせと仕事に励む働き者だったといわれています。冒頭にご紹介した動画のなかにいる“ちいさなおじさん”を見ていると、「メネフネって、こうやって働いていたのかなぁ~」、と思わずニヤリ。ちなみにこの動画、06年カンヌ国際広告祭「フィルム部門」でシルバーライオンを受賞しました。
地デジとカーナビの共通項って?
西村直人
愛用していた自宅のテレビが寿命を迎えたので、地上波デジタル放送対応型に買い替えました。じつに18年ぶり新しくしたテレビの容姿(なんと薄いこと!)にも驚きましたが、それ以上に感心したのがデータ放送です。
視聴者とテレビ局、双方向での情報交換が売りとのことですが、テレビ画面内に番組情報や天気予報、さらには時事ニュースなどが一堂に表示されるデータ放送画面には正直、ツイテイケマセン。マルチメディア化が進んだ現代を象徴するような機能なんでしょうが、情報の乱立に見ているこちらの頭が混乱してしまうこともしばしば。私のCPU、そろそろアップグレードしないと‥‥‥。
この状況、どこかで経験したような、と考えてみると‥‥‥。そう最新カーナビの画面でした! 迫り来る情報に溺れてしまいそうになった自分を思い出します。
液晶テレビやプラズマテレビが解像度や表示スピードを競うように、車内のナビモニターも高解像度化が進んでいます。きれいな画面になること自体は歓迎すべきことですが、高い解像度ゆえに、従来では判読することができなかった細かい文字や図形まで、きちんと表示できるようになりました。この結果、詳細な周辺情報やリアルな立体地図など、従来と同じモニタースペースから2倍から3倍の情報発信が可能になったのです。
見やすい画面を目指した家庭用テレビは大型化が進みましたが、設置場所に制約のある車内では、ナビモニターの大型化に対して物理的な限界があります。最新ナビのモニターをまるで圧縮陳列のようだと感じたのは、情報量に対してモニターサイズが小さいということに理由がありました。
運転中、画面に対して眼を向けることが許されている時間には限りがあります。状況にもよりますが、ほとんどの場合が一瞬でしょう。こうした場面で経路案内以上の情報を瞬時に判読するのは至難の業です。文字タイプやイラスト形状に工夫を凝らしていますが、一瞬で理解するにはよほどの動体視力(と高い理解力)が必要になります。一部、音声案内も実用化されていますが、人口音声のヒヤリングには慣れが必要ですし、発話のタイミングもナビメーカーによって違いがあります。せめて音声操作の指示言語だけでも、メーカー間で統一してほしいものです。
国交省のASVや警察庁のUTMSは、事故を減らすための情報発信源にナビモニターの利用を検討しています。05年度の国内カーナビゲーションシステムの総出荷台数は約336万台(前年比約113%)ですから、高い普及率を示すナビモニターの利用には私も賛成です。ただ、情報過多が発生しないよう活用方法に工夫を凝らすなどの対処法も必要だと考えます。様々な情報が一斉に表示されるということは、モニターを注視する原因にもなりかねません。
こうした状況を避けるため、警告音やステアリングを振動させるなど、モニター情報と組み合わせることも有効な手段でしょう。また、情報を抜粋しフロントウインドに転写するヘッドアップディスプレイ方式も検討の余地があるのではと考えます(つづく)。
眼鏡を掛けたクルマたち
西村直人
日本の高齢化社会はますます深刻化しています。今や国民に占める65才以上の割合は20.7%(05年比で83万人増加の2640万人)。これが75才以上となると1208万人、およそ国民の10人に1人の割合です(数値はいずれも06年9月17日発表。総務省より)。先進国の中でも最高水準の長寿国。なにはともあれ、長寿であることは誇りに思うわけですが、ふと、こんな考えが浮かびました。
「クルマの運転と加齢の関係」。とりわけ、今回は年齢とともに落ちてくる“視力”に的を絞って考えてみることにします。
視力が落ちてくると、ほんとんどの人は眼鏡やコンタクトレンズでそれを補います。補正された視力によって、今まで見えなかった、または見にくい状況から解放されるわけです。ちなみに日本国内で4輪の普通免許を取得するには「視力が両眼で0.7以上、かつ、一眼でそれぞれ0.3以上であること又は一眼の視力が0.3に満たない者若しくは一眼が見えない者については、他眼の視野が左右150度以上で、視力が0.7以上であること」と示されています(警視庁の原文より)。アメリカやEU諸国と比べても高い視力が要求されています。
ところで運転に不可欠な情報を得るためには五感をフル活用する必要がありますが、とりわけ“見る”という行為は非常に重要です。周囲にいるクルマの情報を捉える、自車のスピードや位置情報を掴むなど、じつに様々な情報を得るための入り口が“眼”の役割です。
人間の眼は2つですが、その数がもっと増えたらどうでしょう? まったくもってあり得ない話ですが、それがクルマの世界になると2つはおろか、3つや4つの眼という話が現実的なものとなります。
万が一の衝突時の衝撃を軽減してくれる「プリクラッシュセーフティシステム」を機能させる入り口は、たくさんの眼からの情報です。レクサスLS460の場合、CMOSセンサーを用いた複眼式のステレオカメラ、ミリ波レーダーセンサー、近赤外線センサーと、前方には4つの眼を常に光らせています。それだけではありません。後続車からの追突に関してもミリ波レーダーセンサーを働かせ、ドライバーをムチ打ち症状を軽減してくれるのです。
前後で合計5つの眼。それとドライバーの眼を掛け合わせた“7つの眼”を駆使することで自らを安全な方向に導くクルマ‥‥‥。長寿国には長寿国にふさわしいクルマの姿、進化系があるのではないでしょうか? 年齢とともに落ちてくる視力を技術がサポートしてくれる、そう最新のセーフティデバイスを備えたクルマは、“眼鏡を掛けたクルマ”なのかもしれません。
秋の集中工事でACCが大活躍?
西村直人
先日、ACC(アダプティブ・クルーズコントロール)に触れましたが、いったいどんな場所で活用できるのか? 現時点での安全で実用的な使い方の事例をご紹介したいと思います。
すでに“恒例行事”となりつつある東名高速道路と中央自動車道の“秋の集中工事”。車線を大幅に規制する工事ということもあり、激しい渋滞を招いているのが現状です。
ただ、24時間クルマの往来が続く高速道路の路面を常に快適な状態に保っていくには、こうした補修作業を伴うメンテナンスが肝心です。道は続いているわけですから、一区間ごとに工事をしていくよりも、集中して工事を行う今のやり方に個人的には賛成です。
とはいえ、年柄年中、高速道路を利用している私たちにとって、やはり渋滞は避けたいもの。東名高速道路と中央自動車道は時期をずらして行われているので、それぞれ迂回をすればいいのですが、目的地から大幅に遠いI.Cにおろされてしまう場合は、やむなく渋滞につっこむわけです。
さて本題のACC。渋滞路での有効性を探るべく、この東名高速道路における集中工事を舞台にテストしてみました。事故やお盆などの交通集中による超ノロノロ渋滞とは違い、集中工事の渋滞には比較的“動き”があり、時間と場所にもよりますが車速にして40~60km/h程度で流れています。また周囲のクルマにしても大多数はハナから渋滞を覚悟して臨んでいるわけで、その結果、渋滞なのにどこかピリピリした空気が薄いというリラックスした雰囲気が誕生しているのです。しかもこの傾向、私には年を重ねるごとに強まっているようにも感じられます。
一方、前車との安全な車間距離を保ちながら走ることのできるACCですが、時として「車間距離が長い」と周囲のクルマからは捉えられてしまうらしく、渋滞のない状況での利用では目の前に割り込まれてしまうという経験も少なくありませんでした。
それが集中工事期間は先の理由も重なって、車間距離を保ちやすい走行環境が生まれていました。割り込みどころか、周囲のクルマの多くが車間距離を多めにとっているのも印象的です。こうした状況下ではACCのシステムが効果的に、かつ安全に機能します。センサーで検知するのは前車だけですが、その前車、そのまた前車の動きがそれぞれ一定で、なおかつ安定している状況においてACCは安定した機能を発揮してくれるからです。
さらに集中工事の渋滞を通して、もうひとつ発見がありました。それは、渋滞を覚悟した運転、つまり流れに任せた優しい運転がここでは当たり前に行われていることです。これには道路インフラによる正確なインフォメーションの効果が大きいと言えますが、逆説的に考えると、イライラによる事故を減少させるためのひとつの手段がここにもある、そう言い換えることもできるのではないでしょうか
ACCで運転がもっとラクになる
西村直人
高速道路や自動車専用道路で前車との間隔を一定に保ちながら走るACC(アダブティブクルーズコントロール)は、渋滞の多い日本において非常に便利で快適な装備です。
従来型の速度を一定に保つだけのクルーズコントロールの弱点は、ドライバー自らが速度の調整をしなければならない点にありました。ACCはこれまでドライバーが行なってきた速度の調整をクルマ側に制御させることで、ドライバーの操作を軽減させるという、運転支援装備のひとつです。フロントバンパー、もしくはグリルに埋め込まれたセンサーによって前車との距離を計測し、要求に応じてアクセルを踏み込み、減速が必要な場合は自動的に緩いブレーキを掛ける、この演算処理にはじまる一連の流れがACCの大まかな概略です。
この装備が世に出た当初は一部の高額車にしか採用されていませんでしたが、今では軽自動車にまでCVTを活用した簡易型のACCが採用されるようになっています。
非常に快適な装備であるACCですが、一方で使い方にデリケートな部分を含んでいます。装備に対する過剰な信頼が、事故を誘発する原因を併せ持っているからです。
ドライバーがアクセルを踏む、またはブレーキを踏むという操作は、なにも前車との距離だけで判断されているわけではありません。周囲の交通状況、少なくとも前後左右のクルマの流れを見ながら、適宜、速度の調整が行なわれているのが一般的です。
ACCの場合、前述したように前車との距離をセンサーによって測定しているだけに過ぎず、周囲の交通すべてに対して目が行き届いているわけではありません。しかしながら、ACCを活用することにより、結果的にドライバーには半自動とまではいかないまでも、3割程度は自動運転の世界が提供されているのです。
私はITSの一環であるACCの普及が高速道路における事故を減らす装備のひとつになると確信しています。ですが、同時に、この自動運転の世界に対するドライバーの過信を排除する必要があるとも考えています。普及率の低い今だからこそ、こうした装備の正しい使い方が正確にアナウンスできるのではないでしょうか。
システムが危険を知らせる、つまりブレーキを踏んでくれる、その瞬間までをすべてクルマ任せにしてしまっては本末転倒です。クルマの運転は最後の最後までドライバー主体であるべきですから。