連載「クルマを被告席に座らせないために」
Vol.7 飲酒運転考察
最近、毎日のように飲酒運転問題が話題になっている。幸か不幸か私は全くお酒が飲めないので、飲酒運転とは無縁だ。でも、一度、ゴルフ場のコース内の茶店で「酎ハイ」とグレープ・フルーツジュースを間違えて飲んでしまったことがあった。気分は大きくなり、OBも怖くなかった。だが2ホール目で完全ノックアウト。頭痛と吐き気で動けなかった。もしこの状態で運転したらきっと車庫入れもできないだろう。だから飲酒運転は睡眠薬を飲んでステアリングを握ることと同じではないだろうか。その状態で事故を起こせば、もう立派な殺人事件なのだ。さて、最近の報道で気になったことがある。自動車メーカーなどがお酒を飲んだドライバーが運転できないようにする飲酒運転防止装置が紹介されている。飲酒運転問題に頭を抱えるスウェーデンは、世界一厳しい罰則を与えているが、それでも寒い時期にはお酒を飲んで運転するドライバーが少なくない。ボルボはアルコールを検出する機械を開発しているし、政府もこうした機械を義務化するのに乗り気だ。これも一つの対処療法かもしれないが、何でも機械に頼る姿勢はいただけないというのが私の意見。
インターネットのヤッフーのサイトでは飲酒運転防止装置の賛否を投票することができる。9月23日現在では、約82%が賛成を投じている。この数字の高さには驚いたが、国民感情としては納得できる数字かもしれない。
しかし、機械や法律に任せてすぎてきた日本の交通対策を考えると、もっと社会人としてのモラルや常識の欠如をなんとかしたいものだ。過去を振り返るとためになる。1970年国内の交通事故の死者数は16000人と過去最悪の事態であった。しかしわずか10年でこの数字は半減した。この時事故発生件数も死傷者数も減少したのだ。
それではいったい、70年代にどんな対策が行われたのだろうか。この時、高度な安全対策技術も法律も整備されなかった。信号機がつき、歩道の整備は進んだが、それ以上に「クルマは走る凶器、走る棺桶」とメディアやメーカーや行政は言い続けたことが功を奏したと言えるだろう。こうした社会全体の危機感がドライバーのモラルを高め、安全認識を向上させたわけだ。
それから30年経った今、クルマは安全になったと錯覚していないだろうか。車内の乗員の致死率は減少したが、相手の被害を考えると、まだクルマは走る凶器なのである。自動車メーカーは声を大にして言いたくないことかもしれないが、拳銃や刃物以上の殺傷力が高い乗り物であることを、もう一度認識する必要があるだろう。
クルマの加害性を考えると、飲酒運転は立派な殺人罪であると思うが皆さんの意見はどうでしょうか?飲酒運転事故で悩むアメリカは殺人罪で起訴されるケースもある。過去の事故歴や飲酒運転歴があると、厳しく罰せられるのだ。国によっては飲酒運転で処分されると、クルマを没収されたり、あるいはナンバープレートの色で飲酒歴が分かるようにする制度もあるという。このようにアメリカでは犯罪者の人権よりも、事故や事件を予防することに重みがおかれた対策が多い。
香川医科大法医学教室の井尻巌教授は「飲酒事故を起こしているのは、『酒が強い』と言われる人たちがほとんど」という面白い研究を行っている。実際に実験してみると、酒の強い弱いは酩酊(めいてい)度の個人差であるが、血中のアルコール濃度に差はない。
にもかかわらず、酒の強い人は酩酊度が低いため、法律に規定されている濃度以上でも「運転可能」と自己判断してしまうというのだ。しかし、「酒の弱い」グループは酩酊感が強くなり、それが飲酒運転の回避につながっているのではと井尻教授は分析する。