コラム

連載「クルマを被告席に座らせないために」
Vol.1 持続可能なモビリティとは

最近、自動車は多くの課題を背負って開発されている。世界的に自動車が急速に普及し始めた60年代頃から自動車先進国で問題となった排気ガスの大気汚染問題。あるいは90年代にクローズアップした自動車が排出する二酸化炭素による地球温暖化問題。こうした環境問題がいよいよ深刻になってきている。さらに交通事故や都市部の渋滞問題も自動車が悪者にされる要因だろう。
 ところで、現在地球上にはどのくらいの自動車が存在しているのだろうか。持続可能な発展を願う世界自動車会議(WBCSD)では約7億台を超える自動車と60億強の人間が共生しているとし、今後中国、インド、ロシア、ブラジルなどの地域で自動車が急速に普及することを考えると、2050年頃には90億人と30億台の人間と自動車が共生することになると予測している。宇宙全体から見れば砂粒にも満たない小さく繊細な宇宙船地球号で持続可能な自動車社会の発展が可能なのだろうか。自動車好きにとって、この問題は極めて厄介なことだ。スピードを愛し目的もなく自動車をドライブすることに「歓び」とする行為が、反社会的な行動だと言われるのではないかと、冷や冷やしている。悲しいかな、環境や安全という視点ではすでに自動車は「被告席」に座らせられている。自動車を愛するエンジニアやユーザーは自動車の持続可能な発展を願って止まないのである。
 今回から連載を始めるにあたり、自動車好きが自動車の負の問題を考え、世界的にどのような取り組みが行われ自動車社会がどこに向かって歩んでいるのか、分かりやすく述べていきたいと思っている。まるでジグソーパズルのように断片的に報道される自動車の話題をくみ上げ、その全体像を眺めながら自動車社会のビジョンを描ければ幸いである。
 ここで自動車の歴史を少し振り返ってみようではないか。もともと欧州では自動車が生まれる2000年も前から馬車の時代が続いていた。メルセデス・ベンツやポルシェの本拠地であるドイツのシュッツットガルト市の紋章は「馬」だ。ポルシェもフェラーリも実はこの街の紋章である「馬」に敬意をはらい自社のトレード・マークにしている。
 シュッツットガルトの由来は「シュツーテン(馬)+ガルド(庭)」という意味だ。昔から馬の産地としてしられていた場所で、今から120年前に偶然にもゴットリープ・ダイムラーとカール・ベンツという二人の発明家は同じ地域でガソリン自動車を考案した。前者は四輪、後者は三輪車であったが、ダイムラーは馬の代わりになるパワフルなエンジンに興味を持つが、ベンツは、馬車とは異なる新しい自動車という乗り物に興味を持っていたと言われている。その両者は20世紀に入って合併し、ダイムラー・ベンツ社が設立された。ここで重要なことは自動車のライバルは2000年も続いた馬車(馬)であったことだ。こうして自動車技術発展の歴史がスタートしたわけだ。
 20世紀に入ると、アメリカではヘンリーフォードが、ガソリン自動車の量産化に成功し自動車が本格的に大衆化することができた。欧州では貴族の乗り物として発展してきたが、市民が買える価格ではなかった。この頃から技術オリエンテッドで性能主義の欧州、市民社会と自動車の共生という思想を掲げたアメリカと、二つの異なる性質を持った自動車市場が生まれた。

 今年はモーツアルト生誕250才となるが、ドイツで生まれアメリカで大量生産された自動車も120才の誕生日を迎える。しかし冒頭に述べた通り、最近の自動車は単に「走る・止まる・曲がる」という移動の道具ではすまされなくなってきている。環境負荷や交通安全、あるいはユーザーの多様な価値観を受け止めるには、もっと新しいパラダイムが必要なのだ。その突破口を切り拓くことができるのはITSではないかと、私は考えている。

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