ITS 11 ブログ

権利無ければ義務も無し

島下泰久

さすがにアウトバーン頼りのドイツほどではないのかもしれないが、ジャスト・イン・タイムのコンビニ配送等々を考えると、物流のクルマへの依存度ではドイツにだって負けていないはずの、ここ日本。しかし、ことクルマを安全に運行することに関しては誰の義務も権利も今ひとつハッキリとしたものになっていない。皆が本当に恩恵を受けるルールは確立されておらず、故に何となくあるそれは守られない。
その延長線上で、仕事で移動しているクルマこそが優先で、個人のクルマは多少犠牲になっても構わない、みたいな風潮も無いとは言えないだろう。追い越し車線を、後ろに数珠つなぎの渋滞が出来ていようが占領し続けるトラックは、まさにその象徴ではないか。でも、もちろんそれを肯定するつもりは毛頭無いが、今の日本のルールでは、そういう行動に出てしまうドライバーが出てきても仕方ないよな…なんて思えてしまう部分が無いとは言えないのが現状なのだ。
闇雲に規則をつくれという話ではない。付け加えるものもあれば削られるものもあるはず。いずれにせよクルマを取り巻く社会のルールは、そろそろ再構築が必要ではないだろうか。なぜトラックはリスクを冒してまで追越車線に飛び込むようにして前を急がなければならないのか。それは誰のためで誰が恩恵を受けていて、そして誰がリスクを背負っているのか。そこをクリアにすることが、クルマでの移動を安全で快適なものとし、結局は効率を高め、そして環境にも優しいものに変えていく契機になるのでは…。
もちろん、今のナアナアな交通環境の中にITSを導入していったとしても、それなりの効果は上がるに違いない。けれども、そうした土台を今一度しっかりさせることこそが、ITSの効果を更に大きなものにするのではないか? そう思わずには居られないのだ。

日曜日にはトラックは走れない

島下泰久

以前、ドイツのアウトバーンの片側2車線の区間を夕暮れ時に走っていて、左側通行の彼の地では一番右側の、つまりはもっとも速度の遅い車線だけが数珠つなぎの渋滞になっているのに出くわしたことがある。理由は結局よく解らなかったのだが、事故などではなかった様子。そして、よく見ると渋滞の中に居るのはトラックばかりだった。
一方、左側車線はスムーズに流れていた。けれども、渋滞の中に居るトラックは1台たりともそちらに出てくることはなかった。なぜか。それはその区間、トラックは右側車線しか走ってはいけないことになっていたから。そういうルールがしっかり守られていたわけだ。
守られるのは、端的に言えば法律で決まっていることだからだろう。しかし、それだけでなくルールが皆に守られているからでもあるはずだ。抜け駆けをしようなんて輩は居ない。
でも何故? 日本の(トラック)ドライバーのマナーが悪いからだ、なんて言うつもりはまったく無い。そこには、きっとちゃんとした理由があるはずで。たとえば、そもそもドライバーの勤務実態が酷いものではないからだというのはあるかもしれない。たとえば大型トラックは日曜日、アウトバーンを走ることができない。皆、時間になるとパーキングにクルマを入れて休息しなければいけないのだ。物流をクルマに依存しているという意味では日本以上のはずのドイツ。なのに社会がそういうことになっている。いや、物流をクルマに依存しているからこそ、そうなっていると言うべきなのだろう。
もちろん、これはたとえばの話で、本当の要因が何なのかは解らない。おそらく、それを含めたアレコレが積み重なっての話だろう。しかし、いずれにしてもルールのためのルールではない、実態に即したルールがそこには決められていて、そしてそれを守っていれば、しっかりそれなりの恩恵がある社会構造になっている。だからこそルールは守られ、マナーが荒廃することもない。そういう一面は、やはりあるのではないだろうか。

大型トラックに、もっと“プリクラ”を!

島下泰久

先日、日野自動車の大型トラック用としては世界初となるプリクラッシュセーフティ(以下『PCS』)の体験試乗会に呼んでいただいた。詳細はCG誌07-05号に書いたのでそちらを読んでいただくとして、近年、大型トラックの追突による悼ましい事故について大きく報道されたこともあって、注目度は決して低くないというこのPCSだが、残念なことに実際の装着率は想定していた水準に達していないという。

聞くところでは、普及に繋がらない要因のひとつとして、沢山のトラックを購入する大口顧客が買わないからというのが挙げられるそうだ。こうしたいわゆる大手の業者は概して社員教育が行き届いていて労働条件も良く、結果として事故が少ない。そのため、こうしたシステムはあまり必要じゃないということらしい。

逆の言い方をすれば、中小の業者はそこまで社員教育に割ける余裕が無く、労働条件も良くはないだろうから、事故率は高くなるということか。しかし当然、余裕が無いからPCSの装着に意識が向くことも無いという…うーむ。これは何だかおかしな話である。

PCSの普及を目指して、今年初頭までは全日本トラック協会、地方トラック協会が装着に際して助成金を出していた。ハイブリッド車がそうであるように、まずはそうした部分から普及を後押しすることは必要だろう。今後は国政レベルでも税制の優遇などが行なわれるべきだ。本気で事故を減らしたいと思っているのなら。

但しこの手のシステムには、装着していたおかげで事故が防げたという実証データを採ることが事実上不可能だという問題がある。結果的に事故は起こらなければ、データも残らないのだ。そうなるとハッキリとした効果の有無が解らないものに対して、助成金など出せない、という話になってしまう危惧はある。

しかし、やはりそれではいけない。こういう部分で我々ジャーナリストは、今以上に大きく声をあげ続けなければならないと改めて思う。何しろトラックの事故は車両が大きく重いだけに、被害も大きいのだ。起きてしまってから悼ましく思うというのを繰り返すだけでは、過去の事故の犠牲者の方々が浮かばれないというものだろう。

そんなわけで、もし大型トラックを使った仕事をされている方がこの文章に目をとめてくれたなら、PCSの導入をゼヒ検討していただきたい。日野自動車では体験試乗会を全国で開催中とのことなので、興味があれば問い合わせてみてほしい。

車種による通行区分も必要では?

島下泰久

先日、比較的交通量の多い東名高速道路の片側2車線の区域を走行していて、走行車線が詰まってきたので流れの良かった追越車線に移り加速をしはじめたところ、目の前の一瞬ちょっと多めに空いたスペースに、走行車線からいきなり大型トラックが飛び出してきた。そのステアリング操作は、まるでダブルレーンチェンジのテストのよう! 背の高いパネルトラックが大きくロールして…しかも、そのドライバーにとっては予想以上だったらしい後方から近づく僕のクルマの速さに、何と彼はそのヨーもまだ収まらないうちに再び急なステアリング操作をして、元の走行車線に戻ったのだった。再び物凄いロール。そして大きな揺り返し。危ないなと思った時点で速度を落として距離を空けてはいたものの、もし本当に横転なんてしようものなら、無事では済まなかったと思う。怖かった。
気持ちは解る。トラックは乗用車に較べたら加速が鈍いから、走行車線と追越車線に大きな速度差があると追越車線に出るのが非常に難しい。だからちょっとでも隙間が空いたら後方の車両にブレーキを踏ませようが構わないというつもりで急激に割り込んでしまおうとするのだろう。でも…。
もし、うまく追越車線に移れたとしても、まだ次の問題が引き起こされる。ご存知の通り、今の大型トラックには90km/hで作動する速度リミッターが装着されている。調査によって、大型トラックが高速道路上で引き起こす事故の半数近くが速度超過による追突事故だと明らかになったために装着が義務づけられたわけだが、改めて考えてみるまでもなく、追越車線に90km/hで走るクルマが出てきては流れは滞る。実際に速度リミッターが効くのはもう少し先、90km/h台後半辺りのようだが、それにしたって流れていれば追越車線の実際の速度は115km/hくらいにはなっているのが現状なのだから。
速度リミッターは絶対必要だ。しかし、それによって道路にはまた新たな危険が生まれてしまっているとも言える。片側2車線の道路では右側車線はトラック通行禁止というぐらいのことも、それはセットで考えるべきなのではないだろうか。「そうは言っても物流が滞るだろう」って? それは、そうした1台の存在によって失われる後続車すべての円滑な移動や、あるいは事故の危険や誰かの命と引き換える価値のあるものではないはずだ。
ついでに補足しておくと、大型トラックの高速道路での法定制限速度は100km/hではない。80km/hである。

右から左から抜かれるのは怖いのだ。

島下泰久

なぜ通行区分は守られないのか。一体何がズレているのか。
まず朝のラッシュ時などは、戻ろうにも走行車線はいっぱいで追越車線を走り続けるしかないという状況に、よく遭遇する。追越車線が詰まり気味になって走行車線の方の流れが良くなると、戻るに戻れなくなる。
追越車線ですら制限速度を大きく下回るような速度でしか流れない場合に、先を急ぐドライバーが追越車線に数珠つなぎになっているなんてことも、ままある。こうなると、業を煮やした輩が左側の走行車線から追い越しにかかり、左側からまくって何台か前に無理矢理入って、後続車がブレーキを踏むハメとなって更に渋滞が加速して、ということも誰もが体験していることだろう。
まさに、ちょっとのボタンの掛け違いが徐々に大きなズレになっていくという構図。まだ流れが遅いとか言っていられるうちはいい。しかし、そうやって右から左から抜くような流れの中に居るのは、正直とても怖い。後方から迫る、避けなければ追突されるんじゃないかというくらい速度差の大きなクルマを避けて左側車線に移ろうとしたら、そこをもっと速い速度でぶっ飛ばしてくるクルマがあったらなんて事例を想像してもらえると、その怖さの意味も多少は伝わるだろうか?
ここにはルールは無いのか。まあ、実際無いんだろう。しかし追い越す、追い越されるには、皆の安全のために明確なルールが必要なのでは? あるいはマナーやモラルがそれに代われればいいのかもしれないけれど、合流しようとすれば車間を詰めてきたり、そうやって追い越し車線に居座っておいて、後ろから迫ると意地になってその車線をキープするなんてことが当たり前の今の殺伐とした日本では、そこに期待するのも難しい。
でも、それでいいわけはやっぱり無くて。もし「何とかならないのかな」と思ったならば、我々ドライバー皆が声をあげなければ。

通行区分を見直すとしたら

島下泰久

高速道路のあり方に関して検討すべき課題は、当然ながら速度の件だけではないはずだ。というか、制限速度について検討し直すならば、それとセットで考えなければいけない問題は山ほどある。1963年に決定された制限速度に則ったルールが、そこにそのまま当てはめられるはずは無い。

たとえば通行区分の話も、議題に上っていいのではないだろうか。通行区分とは、要するに一番左側が走行車線で、右側が追越車線で…というアレのことだ。ご存知の方の方が多いはずだが念のため改めて書いておくと、高速道路というか道路を走行する際には原則的に走行車線、正式には第一通行帯を走らなければいけない。第二通行帯を走行できるのは追い越しなど限られた時だけ。追い越しが済んだら速やかに走行車線に戻らなければいけないことになっている。

改めて書くと「んなアホな」と思う人も多いことだろう。そうなのだ。それは結構難しい。

しかし、それは間違ってはいない。実際そうあるべきだと思っている。いや、もちろんそのシステムを手放しで賞賛できるものだと言っているわけではない。けれども高速道路を円滑に流すにはルールが必要なのは確かだろう。そして、その基本は遅いクルマほど左側(日本の場合は)を走り、右側車線に行くに従って流れが速くなるようにするべきであるはず。右側車線に移ったクルマは遅いクルマを追い抜いたあと、左側車線にクルマが居なければ左側に戻る。必要なのは、その程度のことだ。そうすれば右側車線をより速い速度で走ってきたクルマの邪魔をすることもないし、それを避けようと左側から追い越すなんて光景も見ないで済むようになるはず。つまり、それだけで高速道路の流れはもっと円滑になるに違いないのだ。

ところが現状は、遅いクルマが右側車線に居座り、それを後続車が左側から抜いていくのが日本の高速道路では当たり前となってしまっている。これは、どこから変えていくべきなのか。次からじわじわと考えてみたい。

速度の話からみちづくり全般の話へ

島下泰久

前回、「規制速度決定の在り方に関する調査研究検討委員会」のことを書いたが、規制速度の見直しを歓迎するというのは、単に速度を上げてほしいからというわけではない。日本そして海外の様々な道を走ってきた我々の経験からして、より効果的な速度規制のかたちがあるべきだという確固たる信念があるからだ。
効果的というのは、高速道路はより高速に、そして安全に移動できる道路にできるということであり、市街地はもっと効率良く、歩行者や自転車にとっても安全で安心できるみちにできるということ。もちろん、速度だけの話ではないのだが、それを起点に色々と話を展開できる可能性は大いにある。
たとえば、第二東名は140km/hで走れるべきだし、街中の速度規制はもっと厳格でいいかもしれない。地方の国道はもっと流れの実情に即した規制とするべきだろう。
そこで肝心なのは、根拠ある規制にしなければ、結局は守られないよということだ。たとえば、遠くまで見渡せる郊外の一本道での無意味な30km/h規制は誰も守らない。
高速道路だって、場所によっては速度を落とさせる必要のあるところがある。流すべきところは流して、本当に速度を落とさせたいところではしっかり落とさせること。
求められるのは、速度だけでなくそういう観点まで鑑みた上でのトータルでのみちづくりである。
そのためには、規制速度を本当に根拠のあるものにする必要があるのと同時に、その速度を実際に守らせるための環境づくりが必要だ。またまたアウトバーンの話をすると、最終的に80km/hまで減速させようという箇所では、ほぼ必ず、かなり手前から段階的に120km/h、100km/hと制限速度が下がっていく。そして逆に、その区間が終われば即座に速度制限が緩められ、ペースを上げることができる。こうなっていれば、ドライバーは本当にこの先、減速しないと危ないところが訪れるんだなと理解できるし、制限速度が厳しいところには、何かしらの理由があると学習できる。みちがクルマ社会を成熟させるのだ。
ともあれ、人にもクルマにも優しく嬉しい日本のみちづくり、最大のチャンス到来であることは間違いない。できる限りの声を、あげていかなくては。

規制速度見直しに我らの意見を

島下泰久

10月末、我々ドライバーにとって非常に注目すべきニュースが流れた。警察庁が、車両の規制速度の見直しを検討する委員会を設置したというのである。
一般道で60km/h、高速道路で100km/hという現在の法定最高速度は、何と1963年に決定されたもので、以後一切見直されてこなかった。規制速度の決定方法自体も、1989年から不変だという。道路環境等々の交通実態や事故の実情、そして何より車両の性能が変化している中、さすがに実情との乖離が大き過ぎるという声が高まっているのが、設置の理由とのこと。遅過ぎるだろうという気はもちろんするが、それでもこうした議論がようやくできるようになったというのは歓ぶべきことだ。
そして実は10月27日、すでにこの「規制速度決定の在り方に関する調査研究検討委員会」の第1回会合が行なわれた…らしい。らしいというのは、そこに僕が出席していたからではないからだが、ちょっと残念に思ったのは、僕じゃないとしても誰かモータージャーナリストが、そこに入っていてほしかったということである。構成メンバーは大学教授、警察庁交通局や国土交通省道路局、自動車局などのお役人に、科学警察研究所等々の人たちが中心で、我々と近いとすれば、JAF MATE代表取締役氏くらい。それがダメだと言うつもりは毛頭無いが、果たして今の日本の、そして世界のモビリティの現状を、正確に認識して正しい結論を導いてくれるのかと言えば、正直不安が無いとは言えない。
そこで提案。委員会構成メンバーは固定であるならば、是非会合ごとのパネラーとして我々を呼んではもらえないだろうか? 別にここに居る人間でなくても良い。日本の、海外の交通事情を実体験してよく知る人が居ないなんて不自然は、是非回避してもらいたいと切に思う。
もちろん、そうなるためには我々ももっと強く声を上げていかなければいけない。自戒を込めたりもしつつ、今回はこんなことを書いてみた。

ナビシステムはもっとツカエる

島下泰久

 目の前にタイトコーナーが近づいてきて、アクセルを心持ち緩め始める。すると、まるで行く先を見通したかのようにATが1段シフトダウンして、エンジンブレーキがかかる。僕が普段乗っているレクサスIS350には、そんな予知能力がある…わけではなく、コレはISのみならず多数のレクサス車/トヨタ車についている「NAVI AI-SHIFT」の働きだ。 その名の通り、情報源はナビゲーションシステム。その地図データを元にコーナーが近づくと自動的にシフトダウンして、要は安全運転をサポートする。最初は正直、とっても違和感があった。それは前触れが何も無いから、というのも大きい。おそらく同じように思った人は少なからず居たのだろう。最新のレクサスLSに乗ったら、動作を知らせるインジケーションランプが装備されていた。
 しかし、それが無くても慣れてくれば、これがなかなか快適である。迫ってくるコーナーがタイトだと一気に2段落として…なんてことまでは取り敢えずしてくれないものの、エンジンブレーキは確実に効くし、何と言うか、ちょっと嬉しさみたいなものもある。未来的~っとか思ってるわけだ、その時も僕は、多分。 更にレクサスGSやLSには、NAVI AI-AVSと呼ばれる、NAVI協調のAVS=減衰力可変式ダンパーも備わる。いくら最新のナビゲーションシステムでも、さすがに路面情報までは入っていないのだが、一度通った道に、例えば大きなギャップがあった場合、NAVI AI-AVSはそれを地図上にデータとして蓄積して、次に通る時には瞬間的にダンパー減衰力をソフトに振る、なんてことまでやってのけるのだ。
 最近、ITS関係のキーワードとして路車間協調という言葉が頻出する。たとえば事故多発箇所などで、道路の側からクルマに情報を送り、それを受けたクルマがドライバーに警告するなりといったことを行なうのが、それに当たる。しかし、それにはインフラの整備が必要なため、現在、実証実験は行なわれているものの、実用化にはまだ時間を要するはずだ。このNAVI協調システムは、その思想を先取りして、クルマだけでそれに近いことを成し遂げようとしていると言える。
 もちろん、クルマはあくまで人間が運転すべきものであり、機械であるクルマがどこまで手助けしていいのかという観点から考えると、将来に向けて問題あるいは課題が無いとは言えない。しかし、大きなコストや手間を必要としない、このナビゲーション協調システムには、まだまだ高い将来性があるのではないだろうか。

2人でラクラク ハイブリッドでスイスイ

島下泰久

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 先日、アメリカはロサンジェルス近郊に出向いた際に、恥ずかしながら初めて自分でステアリングを握って、彼の地のハイウェイにあるカープールレーンを走ってきた。カープールレーンとは、写真を見てもらえば解るように、2名乗車以上のクルマだけが走ることのできる車線のことである。
 この車線、全線にあるわけではないのだが、それでもかなり頻繁には現れる。メインの車線が、それこそ5車線も6車線もあるというのに渋滞して先に進まない中、ここだけ流れはスムーズ。混み入った中心街やジャンクションも、スイスイと抜けることができた。
 このカープールレーン、狙いは明白だ。圧倒的な数を占め、そして渋滞の温床となっている1名乗車のクルマを出来る限り減らして、2名もしくは3名で高速道路に乗ってもらおうということである。
 ロサンジェルスの渋滞は聞いていた以上のものだった。完全に動かなくなってしまうことはあまり無いのだが、ずーっと這うような速度が続くという場面はままある。こうなると問題になるのが環境への影響だ。
 カリフォルニアは全米でもっとも厳しい、つまりはほぼ世界でもっとも厳しい排ガス規制を導入している州である。それなのに、なぜ環境が良くならないのかと言えば、どんなに古いクルマでも、いわゆる車検はナシで走れてしまうからだ。新車の規制を強化するのもいいけれど、まずはそういうクルマに何らかの我慢を求める方が良いのでは…とも思うが、自由の国を標榜し、そしてクルマが無ければ行きていけない国であるアメリカで、それは難しい話なのだろう。
 話は逸れてしまったが、そんな環境で生まれたカープールレーン。近年では更に通行の条件に、2名以上乗車に加えて、ハイブリッド車というのが加わっている。そう、ハイブリッド車であれば、渋滞を横目に颯爽と飛ばしていけるのだ。
 前にも書いたように、日本の場合、車線とは徒競走のレーンのように皆が平等な場となっていて、欧米のような通行区分という概念に乏しい。速いクルマは右、遅いクルマは左、速いクルマが来たら避ける、あるいは更に2名乗車やハイブリッドは専用レーン…なんてルールが守られれば、路車間通信だ何だと飛び道具に移る前に、まだまだ道路上の自動車交通を円滑化し、気持ち良く走って事故も防げるという状況、作っていけるのではないだろうか。

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